東京地方裁判所 昭和37年(ワ)7796号 判決 1974年9月24日
原告
日南興業株式会社
右代表者清算人
安次嶺次郎
右訴訟代理人
上原健男
被告
国
右代表者法務大臣
中村梅吉
右訴訟代理人
楠本安雄
外二名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の申立
一、原告
「被告は原告に対し、七九五、八五五、五三六円及びこれに対する昭和三七年一一月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決並びに仮執行の宣言。
二、被告
主文同旨
第二 当事者の主張
(原告の請求原因)
一、原告は、自動車輸入販売、修理及び自動車部品の輸入、製造、販売等を目的とする株式会社であるが、昭和二七年一二月一日清算決議をなし、現に清算中のものである。
二、原告は、昭和二一年(一九四六年)一〇月から昭和二六年(一九五一年)五月に至るまでの間、アメリカ合衆国との間に米第八軍エクスチェンヂ(以下補給廠という。)を介し、左記約定のもとに、原告が東京、横浜、横須賀、横田及び立川の駐日米軍基地における同軍人並びに軍属の一切の自動車に対する修理工場を独占的に経営する特権(privilege of operating the garage)を取得する旨の契約をした(以下本件契約という。)。
1 原告は、補給廠が所管し占有する建物内において、自動車修理を行なうこと
2 営業時間、作業料金及び販売物品の価額等は、補給廠の定めるところに従うこと
3 補給係将校またはその代理者は、毎日始業時または随時に現金収入高を監査しうること
4 原告の修理または販売の相手方は、軍のP・Xで購入することを許された者にかぎり、しかも取引の方法は軍のP・Xにおけると同様の方法によること
5 原告は、右の目的を達するのに必要な従業員を雇用し、その員数並びに賃金等は補給廠がこれを指定すること
6 補給廠は、自動車修理に必要な工場、建物、倉庫を提供し、すべての自動車修理用部品を供給すること
7 原告は、自動車修理工場を独占的に経営する対価として、次の金額を補給廠に対して支払うこと
(一) 昭和二一年(一九四六年)一〇月一八日付契約においては、給油サービスにつき33.3パーセント、その他のサービスにつき一五パーセント、部品販売につき一〇〇パーセントの金額
(二) 昭和二二年(一九四七年)七月一八日付契約においては、総売上高の一五パーセントの金額
(三) 昭和二五年(一九五〇年)一〇月一九日付契約においては、総売上額から補給廠が提供する部品の原価を差し引いた額の二〇パーセントの金額
三、右自動車修理等契約は、原告がその分野において豊富な経験を有するところから、米軍の直営による方式に代るものとして、純私経済的基礎のうえに締結され、占領下においては特殊な例外に属するものであつた。
しかしながら、補給廠係官が原告をしてその指揮監督のもとに従業員募集、訓練の実施並びに所要の機械、工具及び資材の整備を行なわせたのは最初の契約後数か月に過ぎず、その後は不正不当にも占領下におけるその絶対的権力を利用して原告の独占的経営権を蹂躙するような挙に出た。すなわち、契約の全期間を通じて補給廠係官は、原告に対する前記修理用部品の供給を必要なだけ行なわず、不当な利得を得るため同部品の横流しをして原告の顧客を奪い、さらに原告が雇用した従業員をほしいままに使用して作業させるなど原告が本来取得すべき収益の大半を喪失せしめるとともに、各修理工場に経営担当者を常駐させ、原告の収入を管理収納するに至つた。
四、右により原告の被つた損害額は概ね次のとおりである。
1 原告が補給廠係官の前記不当行為のため、その供給を受けた修理用自動車部品は必要量の五分の一に過ぎなかつたため、常に顧客の需要に応じきれず、注文をことわらざるをえない状態であつた。
これを売上額と在庫額を基礎として数字的に明らかにすれば、一九四七年七月から一九五一年五月までの約四年間にわたる部品売上総額は、一、四八二、〇〇〇ドルであり、在庫は常時一、〇〇三、〇〇〇ドルであつたから、在庫部品の回転率は年間(1,482,000÷1,003,000)×1/4で0.37となる。これに対し、もし約旨に従つて自動車部品が順調に供給されていた場合においては、自動車部品販売の一般的経験則に照らし、三ないし四の回転率を得たであろうことは容易に推算しうるところである。それ故、この場合における原告の売上増は3/0.37ないし4/0.37となり、実際の八ないし一〇倍であつて、これを内輪にみて、現に補給廠係官が不当な部品販売によつて取得した収入額を基礎として原告が取得すべかりし利益を算出しても、別紙一記載のごとく、一、二九一、二〇〇ドル九〇セント(四七一、二八八、三二八円)となる。
2 さらに、原告は一九四六年以降別紙二記載のごとく、従業員を雇用してその賃金を支出したが、従業員の作業料金は前記契約第三条に基づき補給廠の定める修理料金表により一時間当り六〇セントとされていた。
ところで、一九四七年七月以降一九五一年五月に至る間の各月別従業員数、これに稼働日数を乗じた延従業員数並びに前記二の7の(二)、(三)の各契約期間別延従業員数の小計は別紙二記載のとおりであるから、従業員の作業(一日八時間)によつて取得されるべき料金は、一、七八〇、二一九ドル二〇セントとなることが明らかである。そして、前記のごとく、補給廠係官による原告従業員の不当使役がなかつたならば、原告は本来取得すべき一、七八〇、二一九ドル二〇セントの総収入から前記各契約期間別の割合による額を補給廠に納付した残額一、五四四、五二五ドル九五セントの収入を得べきはずのところ、現実には補給廠係官による右不当行為のため六五五、三〇〇ドル七二セントを取得したに過ぎないから、結局八八九、二二五ドル二三セント(三二四、五六七、二〇八円)の得べかりし利益を喪失したことになる。
3 以上のごとく、原告はアメリカ合衆国の機関である補給廠による本件契約上の債務不履行のため前記1及び2の合計二、一八〇、四二六ドル一三セント(七九五、八五五、五三六円)の損害を被つたのであり、原告はこれによりアメリカ合衆国に対し同額の損害賠償権を取得したことになる。
五、しかるに、被告国はアメリカ合衆国を含む連合国との平和条約を締結するに際し「日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。」旨を約した(「日本国との平和条約」一九条(a)項)。
これがために、原告の有していたアメリカ合衆国に対する前記損害賠償請求権は昭和二七年四月二八日の同条約発効とともに失権した。
元来、本件契約は原告とアメリカ合衆国との間において、対等な立場でしかも純私経済的基礎のうえに締結された私契約であり、本質的には戦争またはそれに引続いて行なわれた占領行為とは関係のない異例のものであり、さらに、アメリカ合衆国当局も原告が前記損害を被つた事実を認め、その一部を原告に賠償し、その後昭和二八年一二月日米合同委員会においても原告が本件契約上部品売上高の八五パーセントを取得しうる立場にあつたことを認め、補給廠が原告に対して返還すべき金額を協議・決定するよう勧告したほどであるが、その後アメリカ合衆国政府は日米合同委員会及び在日同国大使館を通じて原告の本件請求権が既に平和条約一九条によつて放棄された旨を指摘して原告に通告してきたので、前記のように解さざるをえないのである。
六、わが国は、対日平和条約の相手方となつた連合国に対する賠償義務を履行する一態様として、日本国民がアメリカ合衆国に対して有していた私法上の請求権を放棄し、よつて原告は前記損害賠償請求権を喪失することとなつたものであるところ、日本国憲法は「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」(二九条三項)と規定しており、被告国は原告に対し右条約によつて放棄させられて公共の用に供せられた原告の前記請求権の補償として同金額を支払うべき義務がある。もつとも、「日本国との平和条約」においては、今次大戦におけるイタリヤ、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドが連合国とそれぞれ締結した平和条約におけるごとく、国が国民に対して平和条約により喪失した請求権の補償義務を履行すべき旨を明定した条項を設けていないけれども、これは日本国憲法において前記のごとく国の正当なる補償義務が明らかにされていることを考慮した結果にほかならない。それ故、「日本国との平和条約」においては、日本国が憲法二九条三項の定めるところにより補償義務を負うことが黙示的に合意されているものと解すべきである。このことは、原告に対するアメリカ合衆国政府の前示通告によつても窺われるところである。すなわち、同通告は原告の本件契約不履行に基づく前記請求権が「日本国との平和条約」一九条(a)項によつて放棄されたものであり、原告としては日本国政府に対しその償還請求権を行使すべき旨を明示しているのである。
よつて、被告は原告に対し本件損害賠償請求権の補償として合計七九五、八五五、五三六円を支払うべき義務がある。
七、仮に、本件損害賠償請求権につき被告主張のように憲法二九条三項による補償が得られないとすれば、被告国としては当然国内的所要の立法措置を講ずべき責任がある。しかるに、国は既に引揚者給付金支給法、引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律、連合国占領軍等の行為等による被害者等に対する給付金の支給に関する法律など直接の戦争損害についてすら救済措置を講じておりながら、原告の被つた本件損害については今日に至るまで何らの救済、補償措置もとつていない。このことは、憲法二九条三項の趣旨よりして立法上の怠慢であるというべく、この点につき被告の公務員(所管庁たる防衛施設庁当局者)には故意または過失があり、被告国はこれにより原告の被つた本件損害を賠償する義務がある。
八、以上の次第で、原告は被告に対し七九五、八五五、五三六円及びこれに対する本訴状送達日の翌日である昭和三七年一一月一四日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
(被告の認否と主張)
一、請求原因に対する認否
1 一項は認める。
2 二項のうち、原告が補給廠との間に概ね原告主張のような内容の契約(本件契約)を締結したことは認めるが、その契約日時、具体的条項の主要な内容は次のとおりであつた。<以下略>
3 三項のうち、本件契約が占領行為と直接関係のない私契約的なものであつたことは認め、その余は不知。
4 四項は不知。
5 五項のうち、「日本国との平和条約」一九条(a)項が原告主張の内容であつたこと、日米合同委員会が原告主張の頃アメリカ合衆国当局に対し補給廠が原告に支払うべき金額について原告と協議するよう勧告し、その後在日中央補給廠が原告に対し本件契約に関する一部支払をなしたこと、アメリカ合衆国政府から原告に対しその主張のような通告がなされたことは認めるが、原告がアメリカ合衆国に対して有する前記損害賠償請求権を失つたことは争う。
右合同委員会の勧告後、昭和三〇年一二月三〇日在日中央補給廠が原告に対し本件契約に関して廃液回収価値及び原告が施設に加えた修理、改造費に相当する金額として四、〇一二、五六〇円を支払つたものである。
6 六項のうち、アメリカ合衆国政府が原告の請求に対して原告の本件契約不履行に基づく請求権が「日本国との平和条約」一九条(a)項により放棄されたことを理由にこれを拒否したことは認めるが、憲法二九条三項は一般抽象的な規定であつて損失補償請求権発生の根拠規定となるものではない。また、「日本国との平和条約」にイタリヤ等の平和条約と異り国の対内的補償義務が規定されなかつたのは、原告主張のごとく憲法二九条三項の規定が存するためではなくて、右補償問題につき国際的に日本国を拘束する必要はなく、日本の国内問題として委ねる趣旨にでたものである。したがつて、平和条約上国の補償義務の生ずる余地はない。
7 七項は否認する。立法行為(発案を含む。)の不作為はその性質上政治的責任を生ずる余地があるにとどまり、個個の国民の権利に対応した法的作為義務の違反を生ぜしめることはないと解すべきである。のみならず、防衛施設庁またはその前身たる調達庁の所管事務のなかには本件のごときアメリカ合衆国軍隊と特需請負業者との間の直接契約に関する義務は一切含まれていない(防衛庁設置法((昭和三七年法律第一三二号による改正後のもの))四一条、旧調達庁設置法((昭和二七年法律第三七号による改正後のもの))三条、四条)のであるから、この点に関する原告主張は理由がないこと明らかである。
二、被告の主張
1 本件契約に基づく原告の損害賠償請求権は、「日本国との平和条約」一九条(a)項により喪失せしめられることはありえない。すなわち、右条項は、日本国が同項所定の日本国の請求権を放棄するとともに、日本国民の同項所定の請求権を日本国がとりあげて連合国との交渉対象とすることはしないし、また、いわゆる外交保護権の行使などもしない趣旨のものであつて、日本国民の個人的請求権(とくに国内法上の請求権)までも放棄したものではないと解すべきである。日本国民が個人として独自に有する賠償請求権は、日本国そのものの権利とはその帰属主体を異にし、日本国が外国と締結する条約等によりその権利を喪失するということは法理上ありえないことである。
2 仮に、右主張が理由のないものとしても、本件契約不履行に基づく原告のアメリカ合衆国に対する損害賠償請求権は「日本国との平和条約」一九条(a)項後段にいう「この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権」には含まれない。右請求権の例としては、占領軍将兵による住民に対する理由のない殺傷・暴行、財産の損壊・強奪による損害賠償請求権などがあり、平和条約において敗戦国がその放棄を約することもある意味においてやむをえないものがある。これに反し、占領期間中に占領国ないしは占領軍と被占領国国民との間に締結された私法的取引契約から生じた請求権までも敗戦国が放棄することは、契約法あるいは国際法の根本にある衡平の原則に反するものであり、「日本国との平和条約」においてかかる不合理な約定がなされたものとは到底解し難い。したがつて、純然たる私経済的基礎のうえに立ち、対等の立場で締結された本件契約における前記損害賠償請求権は右条約一九条(a)項の適用を受けないこと明らかである。
3 本件損害賠償請求権が「日本国との平和条約」一九条(a)項の存在によつて何らの影響を受けないとする解釈は、右条約の締約国である日本、アメリカ合衆国その他連合国各国の意思にも合致するところである。
原告は、昭和二七年一一月日米合同委員会に本件損害賠償に関する調停を依頼し、同委員会は昭和二八年一二月アメリカ合衆国に対し原告主張のごとき内容の勧告をなし、これを受けた同国政府は原告にその主張のような一部の賠償支払をした。その間、原告の右請求権と平和条約一九条(a)項との関連性については、日米合同委員会でも全く問題とされなかつたし、補給廠がこれを援用した形跡はない。このことは、少なくとも当時においては右両者の関連性がなく、前記請求権が平和条約一九条(a)項の適用を受けないことを自明の前提としていたというべきである。
4 仮に、本件請求権が原告主張のごとく、「日本国との平和条約」一九条(a)項により放棄させられたものであるとしても、原告の本件損害賠償請求権は、後述のごとく、いわゆる戦争損害の一種に属するものであつて、過般の戦争、敗戦、そして占領というわが国の存亡にかかわる非常事態にあつて国民の誰もが多かれ少なかれ、その生命、身体、財産の犠牲を受忍しなければならなかつたと同様、これに対する補償は憲法二九条三項の全く予想していないところで、同条項適用の余地はないものというべきである。
戦争損害の範囲につき、学説は広義の戦争損害として、戦争の直接的(砲撃、空襲、撃沈、掠奪など)、間接的(強制移住、追放、占領など)な影響によつて自然人または法人の被つたすべての人的または物的損害であつて、これが敵軍の作用によつて生じたか自国軍の行動によつて生じたかを問わないとしており、判例も、在外資産に関する権利(最高裁昭和四三年一一月二七日判決民集二二巻一二号二、八〇八頁参照)、占領軍兵士の不法行為による損害賠償請求権(最高裁昭和四四年七月四日判決民集二三巻八号一、三二一頁参照)が平和条約の結果失われた場合の損害を戦争損害またはこれと同視すべきものとしている。
原告の本件損害賠償請求権が、私法的基礎のうえに締結された契約によるものであるとはいえ、広い意味で占領軍の占領目的遂行のための一手段であつたことは否定できないのであり、契約の背後に強大な占領軍の権力があつたことは契約の内容、体裁自体からもこれを看取しうるのである。例えば、
(一) 営業時間、作業料金、価格等原告の工場経営にとつて最も重要な事項を補給廠が定め、原告はこれに従わされている。
(二) 補給廠側は、毎日終業時または随時に現金収入高を検査することができる。
(三) 原告に対し補給廠側の命令、諸規則、準則等の遵守義務が定められている。
(四) 補給廠はいつでも、いかなる理由によつてでも契約を解除することができる。
(五) 契約は第八軍司令官の承認によつてはじめて効力を生ずる。
(六) なお、原告の修理工場経営は「特権」(Privilege)とされているが、これは米国法上通常の「権利」より保障が弱いものとされている。
さらに、原告主張の損害の直接原因となつた補給廠側の債務不履行は、まさに、当時の米軍の絶対的権力を利用してなされたものであり、原告の損害もその帰結にほかならないのである。
このようにみてくると、原告主張の本件損害は過般の戦争、敗戦という事実に基づいて生じた一種の戦争損害といわざるをえず、憲法二九条三項に基づく補償の枠外にあるのである。
5 仮に、前記主張が理由がないとしても、原告の本件請求権は時効により消滅している。原告の主張に従えば、本件請求権は日本国が平和条約を締結し、同条約が発効したことにより、憲法二九条三項の規定に基づき発生したというのであるから、同請求権成立の時期は右条約の発効した昭和二七年四月二八日であること明らかであり、かつ、これは公法上の損失補償請求権であると解すべきであるから、会計法三〇条の規定により五年を経過することによつて時効により消滅するものといわなければならない。したがつて、本件請求権は前記成立の日より起算して五年を経過した昭和三二年四月二八日をもつて時効により既に消滅している。
(被告主張に対する原告の反論)
一、本件請求権の消滅時効の起算点を平和条約発効の時であるとするのは不当である。およそ、時効期間は当該権利を行使しうる時より進行するものと解すべきところ、原告が本件請求権を被告国に対し行使しうる状態に至つたのは、アメリカ合衆国政府より原告に対し昭和三四年一二月二日付公文書をもつて同国に対する原告の本件契約上の損害賠償請求権が「日本国との平和条約」一九条(a)項によつて放棄されたものであると通告してきた時点であるというべきである。何故ならば、一般に国際条約の解釈には締約当事国の意思が支配的な意味を有するものとされているが、右条約発効当時においては何人も本件契約上の損害賠償請求権が同条約一九条(a)項によつて放棄されたものとは解していなかつた。このことは、日米合同委員会が平和条約発効後である昭和二八年一二月一九日にアメリカ合衆国の機関である在日中央補給廠に対し営業権者である原告に支払うべき金額について交渉するよう指示し、これに基づき原告と在日中央補給廠との間にいくたの折衝、調査が行なわれた結果、昭和三〇年一二月合衆国政府より原告請求の一部について賠償がなされた事実や、その後も原告の申入れに応じて日米合同委員会日本代表より同委員会が在日中央補給廠に対し必要な措置をとるよう勧告をしている経過に徴しても明らかである。したがつて、原告のアメリカ合衆国に対する本件損害賠償請求権の存在は日本政府機関及び在日米軍機関によつて容認され、支持されていたのであつて、このような事情のもとに原告がなお日本国政府に対し右請求権を行使すべきであるというのは、およそ不能を強いるに等しく、この時点を本件請求権の時効期間の起算点とするのは、時効制度の趣旨にも反し、甚だ不当である。
二、仮に、そうではないとしても、被告の時効援用は著しく信義に反し無効というべきである。原告が「日本国との平和条約」発効当時、本件契約上の損害賠償請求権をアメリカ合衆国に対し行使するについては、これが日本の国益にも合致するゆえんであるとして、被告は日本合同委員会などその政府機関をあげて原告に同調し、助力を惜しまなかつたので、原告は一途にアメリカ合衆国に対してのみ権利行使することを考え、日本国に対して請求することなど毫も念頭になかつたのである。しかるに、合衆国政府より本件損害賠償請求権は「日本国との平和条約」一九条(a)項の適用により放棄されたものである旨の通告を受けるや、たちまち一変して時効を援用する被告の態度は、以上の経過にかんがみ著しく信義に反するものといわなければならない。
三、本件損害賠償請求権は、占領下において成立した私経済的取引契約であつて、きわめて特異な例外に属し、契約当事者が契約に基づいて有する利益であるから、他の戦争損害と同視してこれを一括処理すべき性質のものではない。被告の挙示する最高裁判例は、敵産管理処分を受けている在外資産に関する当該国の処分または占領軍兵士による殺害行為に基づく請求権に関するものであつて、本件請求権とは全く異質のものである。
第三 証拠<略>
理由
一原告と補給廠との間に原告主張の日時に本件契約が締結されたこと、その内容が概ね原告主張のとおりであつて、同契約は連合国軍(米軍)による占領行為とは直接関係のない私法上の契約であつたことは当事者間に争いがない。
原告は、被告に対する本件請求は憲法二九条三項に依拠するものであるとし、その前提として、被告国がアメリカ合衆国を含む連合国との間に「日本国との平和条約」を締結することにより、同条約一九条(a)項によつて原告がアメリカ合衆国に対して有していた補給廠の本件契約不履行に基づく損害賠償請求権を放棄したと主張し、被告は第一次的にはこれを争うが、この点に対する判断はしばらく措き、仮に、原告主張のような請求権の放棄がなされたとした場合に、憲法二九条三項に基づく補償義務が被告国に存するか否かにつき先に判断することにする。そこでまず、原告の右損害賠償請求権が被告主張のごとく、いわゆる戦争損害に当るものか否かについて検討する。
二<証拠>を総合すると次の事実が認められ、他にこれに反する証拠はない。
今次大戦の終戦直後、連合国軍としてわが国へ進駐し占領を開始した米第八軍では、所属軍人、軍属の個人使用自動車の修理を担当しうる日本の企業を求めていたところ、原告会社はその代表者が戦前米国に在住し、かつ、フォード自動車会社横浜工場に勤務していたこともあつて英語に堪能なうえ、外車の修理に経験と能力を有することから、補給廠との間に本件契約を締結した。それは、原告に東京周辺の米軍基地五箇所において、軍人、軍属に対する自動車修理工場を独占的に経営する特権を付与し、その代償として原告は補給廠に対し前記(請求原因二項7)のごとく一定の金額を支払うことを骨子とするものであつた。しかし、同契約では次のような特約がなれさた。
(1) 原告の営業時間、提供する部品の価格、サービス料金並びにその他の営業行為について補給廠側がこれを決定し、原告はそれに従うこと
(2) 補給廠側は毎日終業時または必要に応じて随時原告の現金収入高を検査することができ、原告は終業時に毎日の現金受入報告書を提出して補給廠係官の署名を受けること
(3) 原告は、すべての取引につき完全かつ正確な帳簿を作成し、補給廠側はいつでもその点検ができること
(4) 原告とその従業員は、その営業活動について補給廠の命令、諸規則、準則等を遵守すること
(5) 補給廠はいかなる理由によつても本契約を解除しうるが、原告は補給廠に対し文書をもつて三〇日の予告を与えたうえ本契約を解除しうること
(6) 本契約は米第八軍司令官の承認をよつてのみ効力を発するものであること
ところが、補給廠係官らは右契約締結後数か月を過ぎた頃から前記営業の支配管理に乗り出し、約旨に反して原告側に自動車修理に必要な部品の提供を十分行なわず、自から原告の雇入れた従業員を使用して自動車の修理サービス等を行なわせて原告の営業活動を阻害するなどの契約違反が目立ち、原告代表者がこれに抗議しても占領軍の権力を嵩に全く受入れなかつた。
三以上の認定事実に前記争いのない事実を総合すると、本件契約は私契約という形式にもかかわらず、自由対等な当事者間の一般私法上の契約とはかなり様相を異にし、補給廠側が占領軍の絶大な権力をバックにした高圧的な態度で臨み、安易に契約違反の挙に出る結果となつたものと推認することができる。
してみると、右により原告がその主張のような損害を被つたとしても、前記のような本件契約の実体と補給廠側の契約履行態度に徴すれば、原告の右損害はいわゆる戦争損害の一種に属するものと認めるのが相当である。けだし、戦争損害とは戦争の直接的影響にとどまらず、占領など間接的影響による人的・物的損害を指すものと解されるからである。
四そして、過般の戦争とこれに続く占領下の時期には国民全体が多かれ少なかれ、生命、身体、財産等に損害を被り犠牲を余儀なくされたが、国民はひとしくこれを受忍し、その苦しみに堪えてきたのであり、わが国が平和条約の締結に当りこれらの賠償請求権を放棄せざるをえなかつたのも、敗戦国として連合国軍総司令部の完全な支配下にあつた当時の事情としてはやむをえなかつたのであり、これに対する補償のごときは憲法二九条三項の全く予想しないところである。したがつて、原告の本件損害賠償請求権が仮に原告主張のごとく「日本国との平和条約」一九条(a)項によつて放棄されたものとしても、その補償を憲法二九条三項に基づき被告に請求できるとする原告主張は失当である。このように解することは、被告が挙示する前示最高裁判所の二判例(被告の主張4)の趣旨にもそうものであると思料される。
五次に、原告は本件損害賠償請求権が憲法二九条三項による補償を得られないとすれば、憲法の同条項の趣旨に照らし被告国は直ちにこれが立法上の救済措置を講ずるべき義務があるのに、被告国の公務員は故意または過失によつてこれを放置し、原告に損害を与えていると主張するけれども、本件損害賠償請求権が平和条約の締結により失権したことの損害は戦争損害に属するものであつて、原告もこれを忍受すべき性質のものであり、これに対し憲法二九条三項の適用をみないこと前記説示のとおりであるから、原告は被告国またはその公務員に対しこれが立法上の救済措置をとるよう求める権利を有しないし、被告国に右救済措置を講すべき義務もないこと明らかである(引揚者給付金支給法などのごとき救済立法は政策の問題であつて、国民が具体的立法の請求権を有するものではない。)から、原告の右主張は理由がない。
六叙上の次第で、その余の争点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないこと明らかであるから失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(高津環 牧山市治 上田豊三)
<別紙一、二省略>